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弟橘媛入水絵_edited_edited.jpg

​弟橘媛

西暦 100年頃、第12代景行天皇に東征の命を受けた日本武尊と共に相模から上総へ渡る際に、あれ狂う海に身を投じた姫君が弟橘媛(オトタチバナヒメ)です。

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走水の海に船を漕ぎ出したその途中、海峡に住む荒れ狂う神が船を転覆させて命を沈めようと暴風と荒波を起こして船を木の葉のように漂わせ進むことができなかった。

弟橘媛が言われるには、
「・・・海の神が命を沈めようとしているからです。それ故、私が命の身代わりとなって海に入りましょう。・・・」と言われて海に入ろうとした。

弟橘媛は涙を流して歌を詠まれた。
「山々の立ち並ぶ相模の国の 野を焼き払う野火の中に
   私をかばってくださった 命の気持ちが忘れられない」
と歌い終えて浪間に沈まれた。
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身を投じた姫のお袖が数日後吾妻の近くの海岸に漂着したので、これを納めて吾妻神社を建てたとあります。

御袖_edited.jpg

祭神(流れ着いた御袖)

関東大震災で崩壊し再構築した大正15年に、大深家より奉納された弟橘媛の遺物です。

霊袖に書かれている内容は、以下の通りです。

木美狹良津 袖下海丹立浪之

衣之面陰遠 見衣悲

キミサラツ ソテシカウミニ

ソノオモカケヲ ミルソカナシキ

霊袖 壹枚奉納書面(大正15年9月16年改築).jpg

奉納した覚書

大深家より弟橘媛の遺物が奉納された時の覚書です。

大正15年時点で 300年より昔から伝わっていたというのですから、少なくとも関ヶ原合戦より昔という事ですね。

弟橘媛像

作:安西 順一(後藤 慶明)

明治41年 千葉県君津市上新田に生まれる。

初代 後藤利兵衛橘義光の2代目門人の

   後藤庄三郎忠明の門人となる。

昭和13年 「新雪に立つ」で日展初入選。

   以後15回入選。

昭和32年 寄贈される

平成6年 うっ血性心不全にて

          永眠ー享年85才

弟橘媛像_edited_edited.jpg
縁起解読01_edited_edited.jpg

吾妻神社 縁起

吾妻神社に保管されている

『上總國望陀郡吾嬬村 吾嬬大權現縁起』 文政四辛巳年八月 (西暦1822年8月)を分かりやすく現在の文体でスライドにしました。


吾妻区に伝わる日本武尊と弟橘媛の話しをお楽しみください。

関係神社.jpg

吾嬬大権現縁起を基づいた
弟橘媛と日本武尊に関係する神社等紹介

走水神社
 弟橘媛が入水された場所

吾妻神社
1,富津市西大和田98
 馬が流れ着いた櫛を加えて駆け上がった
2,袖ヶ浦市三黒

 弟橘媛の亡骸を運んでいたとされている

弟橘比売神社
1,鹿野山 (白鳥神社) 
 日本武尊が亡くなられたのちに、弟橘媛に会いに白鳥となって飛来した
2,市原市皆吉 (御嶽神社)

 弟橘媛の碑があります

弟橘比賣命御陵
1,茂原市本納 (橘樹神社)
 弟橘媛の亡骸が祀られている

「ああ、わが妻よ、恋しい」と嘆いた嬬恋村
https://tsumatabi.com/history/

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